代表 渡邉英人物語

大学時代~就職、そして結婚


卒業旅行先のカナダにて。
分かりにくいですが、
右手前に私が映っています。(笑)

大阪工業大学工学部機械工学科に入学し、
実家を離れ一人暮らしをはじめました。

親には申し訳無く思っていますが、
勉強よりもアルバイトと遊びに時間を投資。
卒業旅行ではカナダに行き、大自然と触れ合うことで
自分の基準値が一瞬で変わるという経験もしました。

大学での生活を通し、人の温かさや学校以外で勉強する楽しさを知りました。

また、この時期に「7つの習慣」という本にも出会い、
今の自分形成が始まったのではないかと思います。

 

大学卒業後、技術者派遣会社に機械設計技術者として就職しました。

入社式では闘牛を実施する、新入社員の採用を1300人もするなど、一時世間でも話題になった会社でした。

しかし、本業ではなかなか上手くいかず、急激な業績悪化により、
技術者派遣に対する会社の考え方・方向性が大きく変わったため、
8カ月後、見切りをつけ退職しました。

 


技術者派遣会社当時の写真(右手前が私)

その後、機械設計技術者として早く働きたいという願望があったため、翌月に同業の技術者派遣会社に入社しました。

大阪営業所に入社したのですが、横浜で多く仕事があったため、すぐに横浜本社に転勤することになりました。
横浜では、大手自動車メーカーに勤務、数ヵ月後、派遣先の業績不振により帰社することになりました。

そこでの期間は短かったですが、自分が帰社する際にそこでお世話してくれた先輩が泣いてくれたこと、今でも忘れはしません。

 

流石にここまで立て続けに何か起こってくると、
苛立ちが募り、次に行くところはどうなるにしろ、自分で決めたいということで、

「遊園地関係のメーカーか宇宙関係のメーカーでないと行かない」

と自社の営業部長に申告したところ、

「ちょうど宇宙関係の仕事があるよ」と。

大手電機メーカーで、人工衛星搭載用電子機器の機械設計に従事することになりました。

 

引き寄せの法則を実感した瞬間でした。

 

ここで指導して頂いた方は仕事の環境も仕事の責任も私に与えてくれ、
「人間は、環境によって変わり、教えてもらう人によって人生は変わる」と実感しました。

自分ひとりの力は本当に小さいものです、今の私があるのはこの方のお陰だと言っても過言ではありません。

 

そして「私が設計したものが宇宙で活躍している」
これは、ちょっとした自慢と大きな自信になっています。

 


結婚式にて

そうこうしている間に、1年ほどの遠距離恋愛期間もありましたが、
6年近くの恋愛期間を経て、今の妻と結婚しました。

結婚式は、自分達で手作り感を出したいとの妻の想いもあり、レストランウエディングをしました。
式中は友人に司会をして貰ったり、ギターの弾き語りをして貰ったり、自分達の考えが形になることに嬉しさを感じました。

 

今度は私が友人から「自分の結婚式で幹事や司会をしてほしい」と何度か頼まれることがあり、引き受けることがありましたが、

「こんなに素晴らしい司会は初めてやわ」
「感動して涙が出たぁ」

と参列者の方から絶賛されました。

自分がしたことで周りの人が喜んでくれたことにやりがいを感じました。

 

そんな折、従兄弟の結婚式で祖父がしたお祝いのスピーチで
相手の御来賓の方々が涙々しているのを見て、度肝を抜かれました。

「何だこれは!何かが根本的に違う!相手の立場に立つこと!?想いを込めること!?」

そのスピーチには大切なことがたくさん盛り込まれていました。
それが今の自分の方向付けをしていると思います。

 

この頃から自分を表現するために「将来自分で会社をしたい」と強く思い始めたのです。

 

ちょうど関わっていた宇宙関係のプロジェクトの終了を目途に設計の仕事を辞め、
神奈川県から神戸市に戻り会社を退職しました。

それと同時に、起業するためには営業力・コミュニケーション能力が大切だ
と考えていたため、営業の道に進むことを決意していたのでした。

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